トップページへ戻ります。社団法人舞鶴青年会議所理事長 松本 泰 がこのホームページを閲覧いただく皆様に御挨拶申し上げます。青年会議所の説明と特徴、その活動内容についてご説明いたします。社団法人舞鶴青年会議所が日々行っている活動をご紹介致します。社団法人舞鶴青年会議所は明るいゆたかな社会を目指し、地域に対して様々な取り組みを行っている団体です。 このページでは大好きなまち 舞鶴への取り組みについてご紹介します。 社団法人舞鶴青年会議所が舞鶴市PTA連絡協議会様と共に毎年開催します市長旗チビッコソフトボール大会について掲載しております。お問い合わせはこちらから

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皆様、こんにちは。いよいよ10月に入り金木犀の香りに癒される日々を迎えました。季節の移ろいを感じる時、人は生を実感することが多いのではないでしょうか。今年も無事この季節を迎えられた。新たな季節が芽吹くたび、とりわけ年齢を重ねられた先達者はそう感じられることと思います。


先日、大津波に見舞われた東北の地でリンゴが真っ赤な実をつけたことが新聞記事になっていました。このニュースにより、自然の逞しさを痛感するとともに、平穏な日々がどんなに幸せなことであるかを感じずにはいられません。私たちは、日々思い通りにならない出来事を繰り返していますが、想像だにしなかった天変地異のもとでも力強く実をつけたリンゴの「生きる力」にもまた、着目せねばなりません。

 

しかしながら、その一方でリンゴの生命力を称賛するだけでいいのだろうかとも感じるわけでございます。


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」


言わずと知れた平家物語の冒頭です。疫病あり、戦があり、飢餓があった時代、常ではないことが常の世の中でした。今年赤い実をつけたリンゴは、来年も赤い実をつけるだろう。この平成の世において、私たちは、すべからくそう考えます。しかし、これはリンゴの生命力にすべてを委ねているわけであります。


私事で恐縮ですが、第二種の自動車免許を取得する際に教官にこう教えていただきました。
「この歩行者は、こっちに倒れてくるかもしれない、じゃないよ。倒れてくるに違いない、だ」
リンゴは来年、実をつけるはずがない。それ位の危機感を持って、どうすれば実をつけることができるだろう、ということに粉骨砕身する。少し行過ぎだ表現とも思いますが、そんな心構えで何事にも取り組めば、成し得ないことはないはずです。五感を研ぎ澄ませ、力強く生きましょう。実をつけないはずのリンゴが、真っ赤な実をつけますようお祈りいたしまして、ごあいさつに代えさせていただきます。今月もよろしくお願いいたします。

 

 

2010年10月15日公開

 

 皆様こんにちは。九月に入り、徐々に涼しい日も多くなり幾分過ごしやすい気候となってまいりました。二十四節気では白露を過ぎたわけですが、この美しい名の季節にはそぐわない忌まわしい災害が、再び列島を襲いました。この台風12号でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、被害に見舞われた地域の一日も早い復旧を心より願う次第でございます。

 

さて、この一か月世間では様々な出来事がございました。そのひとつとして野田内閣の誕生がありますが、新首相が就任の折に語った次の話が印象に残っております。「朝顔が美しい花を咲かせるためには、暗い夜の闇が必要だ」と。

 

今は暗い闇の中を生きている。明けない夜はない。実に使い古された表現です。しかし、確かに今私たちを取り巻く環境は暗く濃い闇なのかもしれません。ですが、ふと視点を変えれば、この闇の濃さはそれほどたいしたものではないはずです。

 

例えば、空襲に怯える戦時下、あるいは圧政に苦しむ中世、もしくは強制連行された極寒のシベリア。それら過去の暗闇から比べると、我々が暗いと思っている闇は如何に明るいものでしょうか。しかも、我々が生きているこの生は、これら深く暗い闇の中に繋がれた細い、本当にか細い糸の終点なのです。

 

闇を闇たらしめるのは、自分の心です。闇でもがいていれば明るい朝が来ると信じるよりも、こんなものは闇ではないと思いましょう。そして、それでも暗ければそこかしこに灯りを点けようではありませんか。

 

朝が来るのを待ち続ける必要などありません。私たちが力強く日々を生きることで、必ずや、闇はいずれ消滅していきます。今月も、皆様方の日々が力強く光り輝くものでありますようお祈りをいたしましてご挨拶に代えさせていただきます。

 

2010年9月15日公開

 

 皆様こんにちは。暦の上では「立秋」となり、少しずつですが日没の時間が早くなってきました。しかしながら、まだまだ夏真っ盛りで、大変厳しい暑さが続いております。
そんな中、皆様いかがお過ごしでしょうか。とりわけ本年は、震災や原発問題の影響で節電が声高に訴えられています。

 

例年になく過酷な夏でありますが、報道におきましても、自分自身の感覚におきましても、さほど厳しさを感じない、そればかりか、むしろ本来の夏らしい陽射しを真正面から楽しもうというような心持でさえいます。これは、何も猛暑日が昨年に比べて少ないというようなことの結果ではないように感じています。そういう側面もありながらも、夏の暑さが存在していないわけではないのです。

 

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」毎年、夏が来れば、その暑さに備え、誰しもが何らかの準備をします。にもかかわらず、「想定外」の暑さにまいってしまうわけですが、これは結局のところ己の準備が出来ていないことに起因しているのかもしれません。そんな意味で考えると、今年に関しては、物的な準備物を揃えるかどうかではなく、それぞれが熱い夏に立ち向かう心構えを持つことができているのではないでしょうか。

 

この夏の経験は、もしかすると、今後我々一人ひとりの人生において、日本という国の今後において、大きな意味を持つかもしれません。私たちの未来には、折に触れ多くの障害物が立ちはだかることでしょう。しかしながら、常にしっかりとした心構えを持ってさえいれば、必ず乗り越えられます。

 

この夏の暑さをそれぞれが心ゆくまで楽しみ、そんな日々の思い出が人生の糧になることを祈念しご挨拶にかえさせていただきます。今月もよろしくお願い致します。

 

2010年8月15日公開

 

 

 皆様、こんにちは。いよいよ梅雨も明け、連日猛暑に見舞われている日々ですが、いかがお過ごしでしょう。

 

 早いもので、本年も折り返し地点を過ぎたわけですが、世の中は依然として様々な面で停滞しているように思います。政権は全く体をなしておらず、原発問題をはじめ重要な問題は何ひとつ前に進んでいる印象を持つことが出来ません。

 

 しかし、そんな中うれしいニュースも届いております。女子サッカーW杯における「なでしこジャパン」の快進撃がその一つです。体格差があり、体力的にも圧倒的に不利な状態にあるはずの環境で、智恵と努力とチームワークを最大限に発揮し、また敏捷性等の強みをしっかりと武器にして、強者を打ち負かす姿は痛快以外の何物でもありません。少し古い世代の方であれば、東京オリンピックの女子バレーボールにて、「東洋の魔女」と称賛された代表チームを想起されるかもしれません。

 

 いずれの場合にもあてはまるのは、そこから我々が感じ取る「希望の光」であります。我々は、確かに、今、苦境に立たされています。眼前に横たわる難題は、とてもやすやすと打ち負かせるような敵ではありません。

 

 しかしながら、あきらめてはいけません。出口はどこかにかならずあるはずなのです。なでしこジャパンが、小さな体でパスを回し続け、針の穴のようなシュートコースをこじ開けたように、私たちは決して屈することなく、難題に臆することなく立ち向かっていかねばなりません。

 

 その先にきっと希望の灯りは煌々と光っているはずです。

 

 燃やせ、情熱の炎を。強く生きる力が、未来を拓く。

 

2010年7月15日公開

 

皆様こんにちは。

沖縄では早くも梅雨明けが宣言されましたが、当地ではいよいよ これからが梅雨本番。じめじめと鬱陶しい日々が続きますが、 いかがお過ごしでしょうか。

 

私ごとで恐縮ですが、学生のころ、この梅雨時の曇天が好きな時期がありました。 今にして思うと、それは自らの属する世界の変化を天変に期待した心境だったのではないかと感じます。

 

最近は心の病がとりわけ珍しい世の中ではなくなって、「五月病」なんて言葉を耳にしなくなりましたが、不安定な気候も情緒の不安定に拍車をかけることは間違いないだろうと思います。

 

このようにネガティブなイメージが先行しがちなこの季節、世の中は大震災の影響から未だ立ち直れず、政局は混迷し、現実世界はややもすると空疎なものに思えてきたりもします。

 

しかし、こんな時だからこそ、私たちは時代の空気感に流されることなくしっかりと未来を見据え、雲の切れはしから明るい青空を見続けねばなりません。

 

季節は移ろい、いずれ梅雨は明けるでしょう。しかし、私たちの心にかかる分厚い雲があるならば、それは、私たち自身が取り除いていくしかありません。

 

ギラギラした夏は必ずやってきます。

 

生の喜びに満ち溢れた季節を、必ずこの手に取り戻しましょう。

 

2010年6月15日公開

 

 皆様こんにちは。5月に入り、いよいよ暑く感じる日が増えてきましたが、いかがお過ごしでしょうか。4月の間は、寒暖の差が大きく、着るものに迷うことが多くありましたが、この頃では、そんなことも格段に減ってきたように思います。二十四節気では、5月6日頃に立夏になりますが、まさに日々、夏の気配が立ち上がっているように感じます。四季を愛でながら、季節の移ろいを日々空気の匂いや空の色の中に見出し、自然と共に生きてきた日本人の感性は、二十四節気の中にも色濃く表れています。

 

 さて、先日新聞記事で拝見したのですが、東日本大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授の調査で確認されたそうです。仙台平野は400〜500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いということでした。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言されています。

 

 我々は、何事においてもそうですが、往々にして今しか見ずに、過去に対して傲慢になることがあります。我々が日々何気なく使っている生活基盤のすべて、そしてもっと言うと、話している言葉でさえも、気の遠くなるような年月を通じて先人達が積み上げてきたものなのです。今回の震災で、私たちは様々なことに気づきました。過去に敬意を持ちながら、今を力強く生きる。このことがまさに今、私たちに求められているのではないでしょうか。

 

 「過去を振り返ると、後悔する。未来を想うと不安になる。だから、今を精いっぱい生きよう」そんな言葉を聞いた事があります。なるほど、と思いましたが、やはり私たちは、今を生きる若者として、過去をしっかりと振り返り、反省をしながら未来に明るい希望を持ち続けねばならないと思います。そのうえで今を力強く生きていきましょう。その先には、必ずや明るい未来が広がっているはずです。まずは我々の足元を照らす明かりだけでもいいんです。その明かりは、やがて世の中を大きく照らし始めるはずなのです。

 

2011年5月15日 公開

 

 この度の東北地方太平洋沖地震におきまして、お亡くなりになられました方々のご冥福をお祈りいたしますと共に、被災されました方々に心よりお見舞い申し上げます。

 この震災は千年に一度の規模であると言われています。報道で目にする光景は想像を絶するものであり、我々は今深い悲しみと恐怖に包まれて日々を過ごしています。科学万能の世の中にあって大自然を前にして我々がいかに無力な存在であるかを思い知らされています。

 

  先日、あるロボット工学の専門家の方のお話をお聞きする機会があり、次のようなことを仰っておられました。 発達した宇宙工学はロケットを月面まで大きな誤差なく到達させることが出来る。またイトカワは奇跡の旅路の果てに地球に舞い戻ってきた。しかし、今、我々は危機に瀕している原発に、ロボットを送り込むことが出来ない。結局生命を危険にさらして人間が最前線に赴いている現状がある。我々は、今、その無力感に打ちのめされている、と。

 

 思えば、人類の歴史は幾多の悲しみや苦しみを乗り越えた進歩の歴史でありました。大火に見舞われた街は火災に強い建築物を、飢饉を経験した農業は冷害に強い品種開発を、疫病にはワクチンを、あるいは衛生的な上下水道を。

 

 今、私たちは深い悲しみに包まれています。しかし、私たちは、生きています。今を生きています。悲しみは乗り越えなければなりません。そして、悲しみを繰り返すことのない世の中を作らねばなりません。 その為に私たちに出来ることは何だろうか。それは取りも直さず、生きることです。今を強く生きぬくことです。 私たち、一人ひとりが光り輝く太陽となって、社会を明るく照らし続けることを使命と感じ、日々を力強く生きていきましょう。その先に必ずや、陽は昇ります。

 

 今こそ、私たち青年の生きる力が問われています。私たちは、陽はまた昇ると強く信じて、この地より社会を明るく照らし続けることを誓います。

 

 

2011年4月15日 公開

 

 

 皆様こんにちは。3月に入り寒暖の差が激しい日が続いておりますが、いかがお過ごし でしょうか。暦では二十四節気の啓蟄(けいちつ)も過ぎ、いよいよ冬も終わりに 近づいております。大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくる頃というのが、 この啓蟄でありますが冬の間分厚い氷の下で、あるいはうずたかく降り積もった雪の下で、 虫たちは春の訪れを心静かに待っていたのであります。

 さて、昔より二月は逃げると言って、矢のように過ぎゆくイメージが語られますが、 この短い冬の日々においても、世間には様々な事件が起きました。NZでの大地震を はじめ、就職活動帰りの大学生が高速バスを横転させる事件、そして大学入試の不正事件、 また熊本で起こった大学生による幼児殺害事件、またしても私たちは耳をふさぎたくなる ような事件事故をテレビ新聞を通じて目の当たりにすることになったわけです。

 容赦ない大自然の力に将来ある若い希望の芽が無残にも摘み取られる一方で、自らその芽 を摘み取ってしまう者もいることに、やり場のない憤りを感じられた方も多いことと思い ます。虫たちは、どんな豪雪の冬も凍てつく極寒の冬も、春の到来を疑うことなく待ち続 けます。今、私たちの社会は見方によっては冬の時代なのかもしれません。これから、世 の中に出ていく若者にとれば、必要以上に張り巡らされた情報の網目に囚われ、不安や焦 燥感に苛まされる極北の冬のように感じられることでしょう。しかし、我々は春の到来を 信じ続けねばなりません。永遠にも思えるシベリア抑留生活の果てに故郷に戻り、この舞 鶴の地に希望を見出した先人のように、希望を持ち続けねばなりません。

  若者が希望を持ちにくい世の中なのであれば、そうでなくなるように変えていきましょう。 変えていくためには、まず自分自身が変わらねばなりません。一人ひとりが自らの未来に 希望を抱き、発熱するように情熱を燃やすのです。その情熱の炎は、自分の氷を溶かし、 いずれ周囲の雪を溶かし、あたりに春を呼びこむのです。

我々の使命は、まさにそこにあるのです。

 春はすぐそこにまで来ています。次の一歩はそれを信じる心によって踏み出されるのです。 今月もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

2011年3月15日 公開

 

 

 

 

 皆様、こんにちは。 二月に入り寒さの和らぐ日も増えてきましたが、いかがお過ごしでしょうか。 世間では、大相撲の八百長問題が取りざたされています。以前から度々疑惑が 報じられてきましたが、今回は動かぬ証拠もあり、事態は混迷を極めそうです。 しかし、事情を知れば知るほど、これは制度そのものに欠陥があるんじゃなか ろうかという思いがしてきます。抜本的な改革なくして解決などあり得ない ように感じます。今年は、辛卯(かのとのう)です。先月も触れましたが、 60年に一度のこの年は、すべてのものが枯れ死んで、新しい芽が出てくると いう年であります。こんな年にこういった問題が出てくるのも何かの因縁なの かもしれません。是非ともウミは出し切っていただき、国民が誇れる国技と しての威厳を取り戻してもらいたいものです。伝統にがんじがらめになること なく、時代に合った柔軟な発想で、この危機を乗り切ればより強い共感を得る 事が出来るはずです。

 また、政権を揺るがしている増税の問題などもそうだと思います。 国の借金はのっぴきならない段階に来てしまっています。今こそ、私たち一人 ひとりがしっかりと国難に立ち向かっていかねばならないのではないでしょうか。

 話は変わりますが、しばらく前に「タイガーマスク運動」という言葉が、度々 新聞紙上に踊りました。これは実に素晴らしい動きでありました。 日本人もまだまだ捨てたもんじゃないな、そう思った方も多かったと思います。 しかし、ことさらに美化をして、篤志家の自発的な行動を、運動へと昇華させる べく急きたてるマスコミには違和感を覚えました。

  何も寄付行為を否定するわけではありませんが、寄付行為で解決できることは あまりに少ないのです。現在、孤児院や養護施設に入っている子供達の大半は、 虐待の結果、親と離れ離れになっているケースであると聞きます。 我々市民が行うべき「運動」とは、まずそのような虐待のない社会を作ること ではないでしょうか。氷山の一角をなでているだけでは社会は変わりません。 私たちは、常に創造的破壊をする覚悟を持って、変革へと挑戦し続けねばならない のだと思います。

 季節はいよいよ春を迎えます。私たちも日々、少しずつでも世の中が好転するよう それがたとえささやかなことだとしても前向きな変化を起こし続けていきたいと 思います。今後ともよろしくお願いいたします。 

 

2011年2月15日 公開

 

 

 

  新年あけましておめでとうございます。皆様におかれましては、ご家族お揃いで健やかに新春をお迎えになられましたこととお慶び申し上げます。

 今年は例年になく雪の多い一月ですが、いかがお過ごしでしょうか。雪の降りしきる大晦日、そして一面の銀世界となった元旦は、文字通り真っ白な新年が来たように感じ、私自身身の引き締まる思いで新年を迎えました。

 本年は、卯年ということで、真っ白なウサギと新雪のイメージが重なり、ぴょんぴょん飛び跳ねるウサギにあやかって、いい年になる予感がした方も多いのではないでしょうか。干支をもう少し詳しく見ると、今年は辛卯(かのとのう)という年になりますが、こちらには、すべてのものが枯れ死んで、後に新しい芽が出てくるという意があるようです。ただ飛躍が訪れるのではなく、創造的破壊の後に飛躍や進化が訪れると解釈すればよいのかもしれません。我々は、ともすれば、未来の姿について受動的になってしまうことがあります。いつか神風が吹いて、自分自身を今とは違う新たなるステージに連れて行ってくれるかもしれないと。人生において、悲観的になることは悪い結果を招くことが多いですが、得体のしれない楽観は、失望と隣り合わせです。先の政権交代もそうでした。何か大きな地殻変動が起こって、劇的に社会が好転するかもしれないと思うことと、失望の繰り返しなのです。このように時の政権の無策ぶりにその責任を負わせることは簡単です。社会が悪い、時代が悪い。今の世の中、言い訳はそこかしこに転がっています。しかし、本当にそんなことでいいのでしょうか。見えない力に頼っていても、なにひとつ事態は好転などしません。私たち一人ひとりが動き出さねばならないのです。

 私たち社団法人舞鶴青年会議所は、一人ひとりが逞しく、強い信念のもと日々を過ごし、大いなる飛躍に向けて邁進してまいります。ご支援ご協力の程、よろしくお願いいたします。

 

2011年1月19日 公開

 

 

 

 

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