《ちょっとだけ舞鶴1 おもしろ地名・町名ばなし》
吸い込まれそうな青い空、宝石のように輝く海、そのなかに人々は陽炎のように舞う・・
気持ちが安らぐ夢の時を与えてくれる舞鶴へはJRで京都から100分前後、マイカーなら渋滞 なしで90分少々・・
豊かな自然と鶴が舞うと言う美しい地名は、鶴の降りたところに城を築いた、 あるいは城の形が 鶴に似ていたというところからきたとか・・・。
近畿百景第1位の景観名所五老ヶ岳をはさんで西地区(西舞鶴)は、城下町と して商業を中心に 栄えました。魚屋町・職人町・桑飼上、下・紺屋・城屋・竹 屋町・・はその名ごりの地名です。
一方東地区(東舞鶴)は、明治34年に舞鶴鎮守府が開庁し、軍港のまちとし て発展してきまし た。街をはしる通りの名が旧軍艦の名で海に近い北から順に 、潮路・富士・大門・八島・敷島・ 朝日・初瀬・三笠・・・となっています。
秋から冬にかけての裏西は‘弁当忘れても傘忘れるな’の諺で時雨模様の空も当地では有名で老舗の銘菓の名にもなっております。
こんな私達のまち“まいづる”ですが21世紀の鼓動が聞こえようとしている現在、舞鶴自動車道の開通や貿易の拡大、将来のまちづくりに欠かすことの出来ない大型事業の具体化などこの街は転換期を迎えています。「夢の時」を与えてくれる舞鶴へ是非一度お立ち寄りください。
《ちょっとだけ舞鶴2 田辺(舞鶴)城 》
田辺城は舞鶴城と称され、その築城は戦国群雄の中で智将であり歌聖といわれた細川藤孝(幽斎)が天正8年(1580年)8月織田信長より丹後国をあてがわれ、子 忠興とともに、縄張りしたことに始まり天正10年代に完成したといわれています。1600年石田三成に攻められ籠城した細川藤孝はその中で“いにしへも 今もかはらぬ 世の中に こころの種を 残す 言の葉”という歌をよむ等「古今和歌集」の伝承者としてまた歌聖としての一面を見せました。その後、田辺城主は京極氏、牧野氏へと代わり廃藩置県をむかえます。全国に数多く残された城と同じく、田辺城にも戦国時代からの歴史があります。市では昭和15年に彰古館、平成4年に城門を建設し、当時をしのぶ資料として開放しています。一歩城門をくぐると歴史ファンならずとも約300年前の光景が少しずつ見え てくることうけあいです。
《ちょっとだけ舞鶴3 岸壁の母・舞鶴 》
「母は来ました・今日も来た・・・」
「岸壁の母」の歌で‘引き揚げの地’として全国にその名を広めた舞鶴。
昭和20年〜33年までの13年間、主にソ連・中国などからの引き揚げ者66万余人を迎え入 れ、その歴史的使命を最後まで果たしました。まちのあちらこちらで喜びや悲しみのドラマがい くつもうまれ、市民は引き揚げ者を心から歓迎し勇気づけました。この引き揚げ地を望む小高い 丘に、昭和45年「引き揚げ記念公園」が、また昭和63年には「引き揚げ記念館」が完成しま した。貴重な展示資料によって、引き揚げまでの辛い抑留生活や、感動的な再会の様子が蘇り、「平和の尊さ」のメッセージを切実に受信することができます。